推しへの愛がダダで手に入る時代ということ
今回のテーマ:アプリゲーにおける課金は正義か? 悪か?
大それたテーマ設定をしてみたが、結論から言うと、一概には言えない話だろう。それでも私がこの記事を書こうと思ったのは、SNSで度々問題にあがる言葉が発端だ。
「課金ユーザーばかりが優遇されるのは不公平! もっと平等にしろ!」
「お金払ってる奴が優遇されるのは当然! イヤなら黙ってやめろ!」
こういう趣旨の言葉を目にしたことは、一度や二度ならあるんじゃないだろうか。私はこのどちらの主張を見てもモヤモヤするし、不毛な論争だと感じる。
という訳で今回は、アプリゲームにおける課金、中でもとりわけランキング制度に関係するものに絞って、私なりに考えたことを纏めたい。
(一応説明しておくと、ランキングの話題に特定するのはより他者を意識しなければならない項目だからです。詳しくは後述)
私の課金レベル
まず、ごちゃごちゃ言う前に自分はどうなんや?というのを簡単に説明しよう。
私は現在、
- ほぼ毎日プレイするものが2タイトル
- ログインだけして推しイベの時に触る程度が5タイトル
- ログインすら疎かだけど端末に入ってるものが4タイトル
こんな状態だ。基本的に課金をしているのは1だけで、月額は決まってないが月平均4000円程度だろうか。学生の身分でアルバイトの収入が不安定な為、月ごとに入るお給料の内訳から考えて、課金できるお金をキープしておくといった感じだ。
ソシャゲの課金率はタイトルによるため平均は解らないが、そんなに珍しいパターンではないだろう。自力でお金を稼ぐ手段があって、ゲームをそこそこやってる人ならまぁわかる程度の課金なんじゃないか。この程度の課金でもの申す資格なんかねえ! と思う方はどうぞお帰りください。
無料で遊べるアプリゲーム、推しへの愛はタダで深まる
さて、本題に入ろう。
今はハードディスクを有料で売って、それだけを買えば全てのコンテンツを楽しめる、所謂据え置きゲーよりも、基本的に遊ぶのは無料なアプリゲームがたくさん開発されている。この利点というのは、SNSによる情報の拡散力が強い昨今において、誰もが・いつでも・どこでもプレイできるということ。SNSの中でソシャゲの話題が占める割合というのは、最近で言えば某有名歌手の引退報道直後、それ以上にFGOのマーリンが話題に上がったことなどからうかがえる。
Fate/Grand orderにて期間限定ピックアップされたマーリン。●●万円を溶かしてしまったという話もちらほら聞いたが……
要するに、経済力や自由な時間、大小様々な違いのある人間同士でも、私はこのゲームがしたいという気持ちと、スマートフォンさえあれば誰でも同じゲームをプレイすることができるのだ。
そして、大抵のアプリゲームには少なからずストーリーがあり、キャラクターが存在するだろう。そして、大概においてそのストーリーは無料で読めることが多い(イベントストーリーなどは例外とするが、こちらもハードルの低い課金で楽しめる場合が一般的に感じる)。
これが大きな罠である。運営会社はなにも善意のボランティアで我々に物語を無料配信してくれている訳ではない。物語を通じて、我々の中にキャラクターへの愛を芽生えさせるためである。
愛が芽生えるとどうしたくなるか? 当然、その子が欲しい、ゲームの中で手に入れたいと思うようになるだろう。
私の推し、月永レオくんです。jpegはお金を稼いでくれないという言葉を戒めにしています。
私たちはしばしば“推し”という言葉を使う。主にアイドルグループで、自分が一番応援している人/キャラ、という意味で使われていたが、昨今は単純に作品の中で一番好きなキャラクターという意味でも使われているように感じる。
作品の中で、推しを定める文化というのが、着実に我々の中に定着しているのだ。
そうして決められた“推し”への愛が深まっていく。すると、その子になら財産を投げ打っても良いという気にさせられる。でも現実世界はそう甘くない。自分の財産は勝手に増えないし、ゲームにお金をかけた分だけ自分の生活は苦しくなるのだ。
愛の証左はお金でしか買えない
ランキング報酬の話をしよう。
この制度は少し前にEテレの番組『ねほりんぱほりん』で紹介された通り、オンラインゲームから脈々と受け継がれる悪しき風習―ーそう、札束の殴り合いだ。
ランキングによって得られるものはゲームの形式によって異なるが、要するに推しへの愛がどれほどのものか?を数値にあらわされてしまうのだ。
そして、その愛を証明するかのように、ランキング上位者には、それにふさわしい報酬が与えられる。早い話が弱肉強食の生存競争だ。
はっきり言って、推しへの愛はお金で量ることはおろか、数値化することなんて不可能だろう。なのに、そうやって数値にあらわされてしまうことで、我々はなんとも言いようのない敗北感を感じてしまう。戦わなくては、大好きなあの子のために、何を犠牲にしてでも!……そう考えた人が行き着く先は、破産だ。現実はあまりにも世知辛い。
前述の通り、推しへの愛は無料で、どこまでも膨らんでいく。なのに、お金がだせないから、推しが手に入らない。だから、経済力のある他人が憎い。こうなっても仕方ないのではないか?
例えばこういう例もあるだろう。
- 事前登録からずっと続けていたが、課金をする余裕がないので、どれだけ苦しくてもランキング報酬は諦めなければならないAちゃん
- 最近一周年記念で話題になったことをきっかけに始めて、他に課金しているゲームもないから、とりあえず五万課金してランキング報酬をとったBちゃん
さらに、こういう例もあるだろう。
- 最近始めたが、古参ユーザーが強すぎる上に、推しが一番人気のキャラクターであるが故に、今から頑張っても3万は課金しないと推しが手に入らないし、確実に手に入るかもわからないAちゃん
- Aちゃんと同時期に始めたが、推しがそんなに人気のないキャラクターだったので、3千円の課金で推しが手に入ったBちゃん
これら全て、お金がないのが悪いと一蹴できるのだろうか?
もちろん、自分が課金できないからといって、課金している人と平等に扱え、という意見が正義だというつもりは毛頭ない。
でも、彼女らは、推しへの愛が証明できないことを嘆いているだけじゃないのか?
この苦しみは、否定されるべきものなのか?
まとめ
推しへの愛はみな平等に手に入るもの
その愛を証明するのはお金であるということ
これらを理解した上で、もう一度冒頭の問題について考えたい。
少なくとも言えるのは、同じキャラクターを愛している、同じ作品を楽しんでいる者同士でいがみあうよりも、一緒によろこびを分かち合えるほうが幸せなんじゃないだろうか。
私はこれを、双方に問いたい。
それでもあなたは、お金が全てか?