その日暮らし

思いついたことを、書くだけ。

名前を贈るということ

 

 

 「名前」とは何か。

 

 例えば私の飼っている犬は八年間うちにいるから、私たちが勝手につけた「自分の名前」を呼ばれれば反応する。

 私たちは誰もがそれを持っていながら、自分で決めることはそうそう無いだろう。生まれた瞬間から言葉を知っている人間はいないのだから。

 

 「君の名前で僕を呼んで」。このタイトルに吸い込まれて私は映画館に行った。原題は”Call me by your name”。どちらも音が良いと思った。

 

 題名の通り、エリオとオリヴァーは作中で気持ちの通じ合った時から、自分の名前で相手を呼ぶシーンが幾度かある。これがどんな意味を持つかは各人の解釈に依るところではあるが、それを考えるにはまず最初に提示した「名前」とは何か。これを考えなければならない。

 

 名前は自分に付随する情報を紐づける「記号」だ。持ち物、契約、所属……これらは全て名前が無いと成り立たないだろう。日本では女性が結婚した際、クレジットカードや携帯の契約名義を変える必要がある。「記号」が変わってしまったからだ。

 

 社会的な意味においては上記の通りだとして――きわめて個人的な「名前」の意味は何なのか。私は、「自分そのもの」だと思う。このからだのつま先から毛先まですべて。オリヴァーとエリオはそれを交換したのだと思う。互いのいっとう大事なものを交換する――その行為は強い絆の証のようでもあるし、深い魂の交歓にも見える。まさにエリオの父が言った「得難い絆」だ。

 

 彼らは自分の名前で互いを呼ぶ時、大切そうに、慈しむようにそれを口にする。自分そのものの欠片を相手に預けるようなその言葉は繰り返される。最後の別れの瞬間にも。

 

 エリオは自信のなさそうな話し方をするとオリヴァーは言う。エリオはオリヴァーのことをエリオと呼ぶたび、自分に自信が持てるような、そんな気がしたのではないだろうか。もしもそうだとしたら、それはオリヴァーがエリオに残したものだ。彼らの絆は、決して失われたわけではない。電話越しに何度もエリオと口にすることを、オリヴァーは止めなかったのだから。