その日暮らし

思いついたことを、書くだけ。

最推しが決められない

 

 

 

 

 

※これは私一個人の感情をどこかに吐き出したいだけの記事です。同じ境遇の人は共感してくれたら嬉しいけどわざわざ自分を責める必要はないです。

※逆に言うと私みたいな奴を許せない人もどうか放っておいて欲しいです。ただ私個人の気持ちを吐きだしたいだけで何かを主張したいわけじゃありません。この記事によってあなたの世界が揺らぐようなことはありませんので安心して放っておいてください

 

 

 最推しが決められない。

 私は最近とくに、このことで悩んでいる。掘り起こせば小学校ぐらいからの悩みだ。

 

 

 アイドルを応援している人なら必ず「この子が好き」という感情は持っているだろう。私もそうだ。けれど、私はどうしても「この子が"一番"好き」とは思えない。

 

 最推しがいる人はいいな、羨ましいなと思う事がある。痛バ全面にただ一人のグッズだけを集めてつけて、推し色コーデして推しのためだけに課金する。ただ一人のためだけに全てを費やすようなスタイルは憧れるし、私もそうなりたいと思う。

 でもどうしても一番が決められない。私はこの子のこういうところが好き、なら言える。しかも、皆一律で同じ好感度という訳ではない。この子よりこの子の方が好き、みたいなグラデーションは間違いなく私の中にあるのだ。それって一番残酷なことじゃないのか?という強迫観念がもうずっと頭の中にある。だって、一番じゃないけどこの子より好きであの子より好きじゃない、みたいなあやふやな答えしか出せない。そうやって色んな子の良いところ取りばかりして、何がしたいの?本当にそれは愛なの?という自問自答を繰り返している。

 

 

 アイドルに限らず、アニメ・漫画・ゲーム、どれでも「一番好きなキャラは?」と聞かれても答えられない。かろうじてこのへんが好きだよ、と答えはするが、いつも心の中には違和感がある。元々どちらかというとキャラクターよりもキャラクター同士が生み出す『物語』に惹かれているので、個人個人で見て好きというよりこのシーンのこのやり取りが好き、としか答えようがないのかもしれない。アイドル文化が二次元に普及して以来、特に女性ジャンルでは『推し』の概念が強く表れる風潮があると思う。その点において私はいつも肩身が狭い。

 

 

 小学生の頃、好きな色で塗ってね、みたいな図画工作の課題で、全然好きじゃない青色を塗った覚えがある。その絵に合っているような気がしたからだ。だから先生には青色が好きなのねと言われたが、そんなことはなかった。好きな色はあったけど『一番』好きな色はなかったから。そういうことの積み重ねで、私はこれまで『一番』を選ばずに生きてきたような気がするし、これからも選べないのではないかと思う。

 

 

 でも、そんな自分を、同時に好きだとも思う。

 一番の誰かを決める必要なんて、実際ないと思う。だからといって、箱推しを名乗る必要も、ない。そもそも好きに誰かと同じ名前を付けようとする必要すらない。

 やりたい人がやりたいようにやればいい。私は私の好きを言語化する方法を模索し続けるし、これからも『一番』を選ばない人生を選び続ける。

 愛はあればあるほど良いと思う、私は今の人生も今の自分の考え方も好きだ。

 ただ、たまに少し寂しくなったり、変なのかなと思ったりする気持ちを書き留めておきたかっただけ。

 ありがとうございました